ゆめを語るようになりたい
初夢は、ボールを投げても投げてもゴールへ届かない、というものでした、mesameです。今回は自分の心に挑んでみました。
『ゆめを語るとき』
あなた、人生のゆめ、忘れてませんか?
と戸口であの人は言った。
忘れてないよ、ちゃんとやり終えたから。
と言うとあの人は黙って戸を閉めた。
あの人はなぜそんなにむきになったのだろう。
前からずっと言っていたのに。
私のゆめは終わったのだ。
私は自分に言い聞かせた。
そういえば、
希望を失ってはいけません。
とも、あの人は言ってたっけ。
いまだにその意味がわからない。
希望とはなにか。
何も叶わない人生の中で、希望とはなにか。
何も楽しくない人生の中で、ゆめとはなにか。
あの人はわかっているのだろうか。
私とあの人とは全く違う。
でも、接点があったのだ。
接点があって、それきりにはならなかった。
あの人に私のゆめを語った。
あの人は私のゆめを理解しようとしてくれた。
それで私は満足だった。
あの人はゆめを実現するのが仕事だった。
熱心に、こうすればいいよと様々知恵をくれた。
でも、私が語ったゆめにはその必要はなかった。
ただ語ったことで、十分だったのだ。
語って理解されただけで良かったのだ。
実現など不可能なゆめだと私にはわかっている。
それが私を何者でもなくしているようだ。
私のゆめは私の人生をかけて作り上げたものだ。
しかし、それを誰が求めているというのか。
私のゆめは、ゆめに過ぎなかったのだよ。
あの人もそうだったと思う。
私のゆめが実現して世の中が変わっても。
世の中が変わることなど当たり前だ。
そのために私が必死にならなくてもいいのでは。
世の中は変わるときは自然と変わる。
ゆめのためにたたかう必要はない。
そう思ったとき、私はあの人との接点を失った。
あの人とは、世の中の常識だった。
私は非常識なのか。
それとも敗北者なのか。
ただたたかいを諦め、逃げているだけなのか。
おそらくあの人のように生きるべきなのだろう。
そうでないと生きる意味を失ってしまうから。
たたかっていたら、充実感ありありだろう。
そういう人生もよい。
しかし、そうでない人生だってあり得るのでは。
そう、自分を無理に鼓舞しなくてもいいはず。
心に平安が訪れたら、それをかみしめたい。
自分が揺れていたらいつまでも不安だ。
心を安定させ、生きることそのものに集中する。
そうやって自分の耳を研ぎ澄まして生きたい。
前のめりにならず、すらりと立っていたい。
自然な生き姿で生きる。
人から悪く言われれば傷つくが、それが自然だ。
傷つくのが自分ならば、治るのも自分だ。
そういう話を、あの人としてみたい。
あの人はわかってくれるかな。
あの人に優しく触れて。
私もそのとき本当の自分を発見するだろう。
内から充実して。
静かに微笑んで。
さあ、ただいま。
人生のゆめは、もうここにあるんだったね。
と、あの人に会いに再び戸を開けよう。
あの人のゆめを聞かなくては。
世の中のゆめを。
それこそ私が必要だったものだ。
それがわかってこそ、私が始まるんだ。
もう一度始めよう、私を。