人生は謎だらけ

人生で出会ってきた謎との邂逅

人生これからの学生さんが目指しているものは

風邪がようやく治りましたmesameです。昨夜は近くの大学の学生さんと話す機会があって、夜中私は考え事してました。学生さんは目標が見つからない、と言っていたのです。

 

かく言う私も、目標が定まらず、行ったり来たり。さまよう人生道中の真っ只中で、学生さんに偉そうなことは言えませんでした。それで一人で考えてたのです。

 

しかし、私と学生さんでは質の違う「目標のなさ」に思われました。

 

うーん!と、メモ用紙になぐり書きしながら考えて出た結論は、、、

 

いまの学生さんは本物に触れる機会がなく、心の底から感動するとかいった経験がまだまだ足りておらんのではないか。という仮説です。

 

従って、本物に出会え!と言いたいです。

 

なぜそんな話になるかと言いますと、見かけ上、ネットで事足りている「自分という安住の地」が出来上がっていて危機感が薄いからではないかと思うのです。

 

「自分」がいつの間にか出来上がっていく、というのはごくごく自然なことです。それは素晴らしいことです。

 

しかし、昨今は情報を自分の都合に合わせて選んでいけるようになった為か、自分と相対する考えや嗜好の持ち主とは距離を自由に取れるようになっていますよね。

 

ですから、好きなことで埋め尽くされている現状で、特にこれといってやりたい事も出て来ないのは自然の成り行きのような気がします。

 

ですが、なんですよね。

 

それでは「自分」と異質なものをテキとしてまつりあげるなんてことがあったり、そこまでいかなくても「自分」が成長しないのではないでしょうか?

 

「自分」の好きなように生きることが大変重宝がられている世の中ですが、異質なもの、しかも本物に出会って、ガーン!と心が揺さぶられる経験があると、これまでの「自分」が更新されて、視野がグーンと拡がります。

 

例えば、ピカソの絵を観て、「何これ?変てこ!」で済ませていれば、それが超ド級の作品であっても何も自分の糧にならないどころか、芸術を感動できる感性が育たないですよね。他人の作品を味う余裕がなくなっています。そもそも絵画に興味を持つこともなく過ごしているかもしれませんね。それで不自由なく生きていけるのですから。

 

しかし、そうやって、ひとつ目をつぶり、ふたつ目をつぶり、して生きていると、自分の人生が拡がりを持たなくなってきます。

 

世の中何でも知っているようでも、実は殆ど味うことのない他人の感覚、感受性、経験を理解出来ないで、結局、人生の目標が見えないことになるのではないでしょうか??

 

こんなふうに偉そうに言ってる私も、昔、目標を失いかけました。そのとき、とにかく本を読みました。斜めに、ザクザクと!そして他人の考えていること、他人の作品に感動し、そうしてはじめて本来の「自分」が見えてきたのです。

 

えーと、そう言えば、いまの私も目標を失いかけています。感動することがなくなってきたというよりも、両親の介護から解き放たれて、やっとぼーっとできるようになり、かえってこれまで打ち込んできた介護がなくなった虚な感じがするのです。

 

さて、この記事を書いてはじめて、私の心に新しい感動が足りないことに気づかされました。学生さん、ありがとう!

 

私は私の人生を、やはり世の中の人のいろんな考え方から学びながら更新していくことで、心の底から楽しいと思えるものに変えていこうと思います。

 

まだまだ道半ば!世の中はひろし!ですね。

 

あ、ちなみにピカソの絵については↓が読み応え十分にして目からうろこが落ちます。

 

ピカソ 剽窃の論理 (ちくま学芸文庫)

ピカソ 剽窃の論理 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

今日もお読み下さりありがとうございました!mesameでした!ではでは!