食事について
食事のとりかた研究中のmesameです。
孤食について、私は寂しいものだと思ってましたが、世の中はよくできていて、孤食こそ食事を満喫できる、と思われている人もたくさんいるようです。
食事中に気を遣わなくていい。
というのが一番の理由のようです。
食事中の相手に気を遣ってしまうのがイヤだということらしく、そういう話を読んで一瞬納得しました。
お一人様の世の中になっているのだということでしょうか。でも、友人がいないのかといえば、しっかりいるらしいです。
こんがらがりました。
食事をするとき気を遣いたくない、というのは、裏を返せば、四六時中気を遣いながら生きていて、食事のときぐらい一人にさせてくれよ、的な感じなのでしょうか。
それほど、気を合わせるのが難しい世の中なのでしょうか。
ビジネスシーンでも、学校でも、地域に居ても、気を遣い過ぎているのでしょう。
その気の遣い方は、本来なら必要ない、過度な気の遣いようだと思います。
と書くと怒られるかもしれませんが、私のこれまでの生活を振り返ると、確かに息詰まりを感じながら生きている空間がありましたし、ありますね。
その息詰まりを解放するには、リラックスできる環境を自分で用意しなくてはいけない訳で、それが一人での生活、一人での食事、ということになるんだと思います。
しかし、と私は言いたいことがあります。
みんながみんなに気を遣い、息詰まりしているなら、その息詰まりを打開する方法はあるはずです。
みんなでみんなのガス抜きです。
張り詰めた空気は、一旦リラックスできるとガラリと変わります。変な緊張感がさーっとなくなります。
その手段は、何かを一緒にやり遂げることです。
もうお分かりかと思いますが、気が合う合わないは別にして、一緒に料理してみる。するとその人たちの性格が出る。それを認めながら、目標である食事までこぎつけられるか??
こうした共同作業をすることで、本来の気の遣い方ができるようになるし、常日頃のストレス過多も和らいでいきます。これから食べる料理に集中するのですから。
私は地域のイベントの準備やらでお手伝いさせていただくことがままありますが、いつも自分の不甲斐なさを感じます。上手にしかも速くこなせる方たちがたくさんいらっしゃる。しかし、それでも私にも私なりの役割があって、洗いものしたり、片付けたり。それは誰でもできるようで、誰でもできる訳ではないようです。
自分らしくありたい、のはわかります。
でも、どんなところでも自分らしくありかつみんなとやっていく醍醐味は、生きていく上でとても大事な経験値となるのではないでしょうか?
いまは、キッチン付きレンタルスペースが都心を中心に展開されているようです。
友人がいるなら誘い合って共同作業してみると世界が広がるかもしれませんよ。
生きるヒントになれば幸いなmesameでした!ではでは!