人生は謎だらけ

人生で出会ってきた謎との邂逅

いい意味で落ちる話

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

一年の計は元旦にあり。そんな訳でスケッチブックに一年の計を書こうとしましたら、気が変わって、絵本を作ってみたmesameです。と言っても絵は単純を極めておりますが。

 

そこで、今年最初のお話を掲載させていただきます!

 

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『おちちゃった』

 

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すぽっ と あなからおちちゃった

 

おちていく

 

どこまでも

 

どこまでも

 

いつまでも

 

いつまでも

 

おちていく

 

おちていく

 

どうしておちるのかな

 

どうしてかな

 

おちているとおもったけど

 

すいこまれているのかな

 

だれかボクをすいこんでいるんだ

 

だれだろう

 

なまえもしらないだれかがボクをすいこんでいる

 

ボクはいつまでたってもすいこまれている

 

えいえんにすいこまれているよ

 

のんびりすいこまれていよう

 

そう のんびり

 

ボクはえいえんになったんだね

 

だれかがすいこんでくれて

 

ボクにえいえんをわからせてくれた

 

あれ?

 

すいこむだれかもえいえんかな

 

きゅうにすいこむのをやめたなら

 

ボクはそのだれかといっしょに

 

なくなってしまうんだ

 

でもさ、なくなったとしても

 

ボクたちはいっしょだ

 

いっしょなのは えいえんだよ

 

えいえんにいっしょだね

 

すいこんでくれたキミ、ありがとう

 

(おしまい)

 

謎解きはここではしませんが、まあ、皆さんお分かりかと思います。そんな訳で、今年も更新していきますので是非遊びにきてください!mesameでした!ではでは!

 

心が満たされないとき

年末ですねー。ちょっと気分がふさぎがちになっているmesameです。なので、今回は独白スタイルでお送りします。

 

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なぜか心が満たされない。

 


孤独感?

 


何かが足りない。

 


何だろう?

 


心が満たされる条件は何だろう?

 


目標をクリアすれば、目標を失う。

 


また目標をこしらえて、クリアすれば同じこと。

 


いつまでたっても目標頼みでは変わらない。

 


充実感、満足感を得るには?

 


いまの自分じゃいけないと思うから?

 


いまの自分でいいと思うなら?

 


いまの自分を変えようとしているのは、満足感の欠乏だ。

 


それを無理にありのままでいようとするなら、自分を変えるチャンスを逃す。

 


満足感がないのは、もっと自分にはできそう、と自分に期待できるからだ。

 


でも、実際どうやっていまの自分を超えていくのかが分からない。

 


だから、いまに妥協して自分が小さくなり、慢性的な欠乏症になっている。

 


かと言って、大それたことができる体質にもなっていない。

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習慣的に萎縮しているのだ。

 


そこを打破するには、どうするか?

 


日々を変えていくしかない。

 


一日一日、少しずつ毎日の習慣を変えていく。

 


いつも見て見ぬふりをしていた片付けをやってみる、でもいいかもしれない。

 


忙しいからできない?

 


忙しい自分を変えようとしているのだから、何か工夫すればいい。

 


工夫している自分は楽しい自分だ。

 


何か制約があっていまのままだとできないけれど、ちょっと考えて工夫し解決できるなら楽しいはず。

 

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夢中になれるものがあれば言うことはない。

 


ずっとは続かなくても、少し現状を工夫してみる。

 


工夫しだすと、身体が動き出す。

 


そうすればしめたものだ。

 


毎日がちょっとずつ変わっていく。

 


その変わっていく自分は、自分で工夫して変わったのだから、少しずつ満足いくような自分になっていく。

 


この変化は留まるところを知らない。

 


これまでの自分では届きそうもなかったところへ行ける。

 


夢を見るのが大切だと言われるが、それが難しいときは身近な気がかりなことを工夫して解決していくといい。

 


自分にブレーキをかけていたものを少しずつ取り去っていく。

 


分からないところは調べる。人に聞く。案外人は同じようなことを経験しているから、聞いたらさらりと答えてくれる。

 


調べたり聞いたりして出てきた方法がそのまま自分に当てはまるとも限らない。そこは自分流に工夫する。それが面白い。

 


私のいまの課題は、人にアイデアを聞かれて自分なりの答えを言ってみたら相手にされなかったことから来ている自己否定感の解決だ。

 


いまブログにしようとメモしてたら、上の課題に直面しているのだと、答えが出てきた。

 


やはり困ったときは何か書く。

 


思っていることを何でもいいので書く。

 


そこから数珠つなぎで答えのヒントが出てくる。

 


今の私のアイデアを自分なりに実践してみよう!

 


実践してダメだったら諦めもつくし、新しい着想も湧くはずだ!

 


そうか!よし、やってみよう!

 


元気が出てきた!

 


ありがとうブログ!


読者の皆様いつもありがとうございます。

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良いお年を!mesameでした!ではでは!また来年!

 

 

共感と反感があってこその人生

また素数にとらわれていたmesameです。気を取り直して、今回は「共感と反感」を取り上げてみます。手紙形式で書いてみますね。

 

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『私ではないあなたへ』

 

ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますか?

 

私はこのところブログに徒然とそこはかとなくかきつくるようになりました。

 

よくもまあ、誰にも期待されずに文章を書けるものだと思われるでしょうが、確かにその通りです。気分を整えるのがとても大変です。

 

それでも、書くのですよ。皆さん書いていらっしゃいますよ。

 

今日のテーマは、あなたとの対話で感じたことです。

 

あなたと話していると、とても共感できるときもあれば、正直なところ、反感を持ってしまうときもあります。

 

共感できるときはあなたと連帯してる感じで、そうでないときは、隔たっているような気になります。

 

そんな風に感じる訳は、あなたと私が同一でない、という当たり前のことでした。

 

そして、共感したり反感を持ったりするのが、私の成長につながっているんだ、ということに気づいたので、今日筆をとりました。

 

先日あなたは私に、楽しい時間をありがとう、なんて言っていましたが、あれは本当でしたか?私には、あなたは全く面白くないような顔をしていたので、あれは嘘に決まっていると思いました。

 

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あなたのことは私はよく分かっているような気で居ましたが、そんなことはまるで違っていて、あなたのことは全く何も分からない、分かり得ない、と思うようになっています。

 

それは仲が良いとかわるいとかいうこととは全く異なり、他の誰に対してもそうなのです。様々な感情や感じ方は、私がそう思っているから、そうなのである、という事情なんだなぁと思う訳なのです。

 

お分かりですか?

 

私の世界観、それを私の宇宙、と言うことにしますと、私の宇宙には、私の宇宙と異なる様々な宇宙がたくさんたくさん入り交じっているという訳なのです。

 

ですから、あなたの宇宙がもし、私の宇宙と接点がなかったら、私の宇宙は相も変わらず成長することがなかったでしょう。

 

そうです、私の宇宙とあなたの宇宙に接点が生まれたことによって、私はあなたに共感を抱いたり反感を持ったりして、成長できたのです。

 

あなたが言葉なり表情なりで伝えたことがあなたにとって本当に伝えたいことかどうかは別にして、それを受け取った私は、私なりにそれを解釈して、私の宇宙はどんどん広がります。

 

もし、私があなたと同一ならば、そんなことは起きません。空虚な宇宙に住んでいるだけです。

 

私は先日お会いしたとき、楽しかったですよ。

 

これは本当でしょうか、嘘でしょうか。

 

私が本当ですよ、と念を押しても、あなたが嘘だと思うなら、嘘でしょう。私は精一杯頑張っても、あなたに感じられる感じ方はあなた次第です。

 

それでも、伝えたいことは伝えなければ始まらないし、それで生じる感情の入り交じりこそ、私を、私の宇宙を成長させてくれるものだから、私はあなたに手紙を書いたのです。

 

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それでは、また。

 

(手紙おわり)

 

上手く伝わったか自信がないmesameでした!ではでは!

 

 

 

全ては素なもの?そうしたら人間も猫も素なの?

クリスマスケーキを食べようとしたらその前にお腹いっぱいになって断念したmesameです。

 

今回もひょんなことからだんだんと深いところを探っていくことになる、或るお話です。様々想像しながら楽しんで頂けると嬉しいです!

 

 

『ある出会い』

 

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久しぶりに天気が良かったから、歩くことにしたのです。このあたりでは歩くのが特別なことで、みな車で走ります。そのとき歩いてみたことが、私にとって大切な瞬間となったのでした。ほんとうに、あなたも歩くべきですよ。

 


歩いてみたら出会いがあったのです。あはは、小学生の男の子にですよ。ごめんなさい、あはは。その子がですね、そーそー、その出会いのことなのですけど、すれ違うときに私なんかが考えもしないことを口にしたのですよ。

 


どこで教わったのでしょうかしらね、見た目はとても普通の子でしたから、ごく普通に、こんにちは、ぐらい言ってすれ違うはずでしたのに。その子の、勇気、というのでしょうかしら、赤の他人の私にですよ、あんなことを言うなんて、あはは、もーおかしい。あははは。あーら、また笑ってしまいましたね、ごめんなさいねー。

 


ええと、何を私に言ったかというと、ですけれど、そー、それですよね、お話したいのは。言ってもいいのですよ。素直に。でもー、それだと私が受けた、あの衝撃が、うまく伝わらないと思うのですよねー。うふふ。こう、全身にイナズマが走るような、そういう衝撃が伝わるようにお話するには、どうしたらいいのでしょう。うーん、あーら、あんまり私が言ったから、逆効果でしたかしら。期待させちゃい過ぎました?あららら。もったいぶるのもほどほどにしないといけませんねー。ごめんなさい。

 


じゃあ、気を取り直して、その男の子が私に言ったことを、あなたにも言いますよ。ん、やっぱり、しゃべるだけじゃ、あとで違ったふうに他の人にお話されちゃいますから、紙に、そー、確かこのバッグにメモ用紙があったと思っ、あっ、あったありました、このメモ用紙に書いてお渡ししましょう。で、ここではもうこれ以上はお話しませんよ、うちに帰ってひとりになられたとき、さっと読んでみて下さいませね。

 

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えーと、(サラサラサラサラ)、はい、書きました、で、こう四つに折って、と、はい、じゃあ、これですからね、なくさないでくださいね。はーい、ではでは、私はこれで。お邪魔しましたー。はーい、さよなら〜。

 

 

 


「あなたは、何からできているかご存知ですか?

僕もあなたも同じく素粒子からできてるんです。

素粒子は、宇宙のエネルギーが形になったものです。

僕もあなたも、区別はないんですよ」

 

 

 

ごっめんなさーい、コーヒーのお代、忘れてましたー。お支払いしに戻ってきました。ええっ?さっきのメモ、もう読んでしまいました?せっかくあれだけうちでひとりになってからといいましたのにー。ねぇ、ご主人?

 

 

 

主人「まあまあ、私たちも興味ありましたから。でも、その話、私が思うには、区別はあるんじゃないでしょうか?」

 


そんなー。せっかくいい気分でいるのに。ねー?

 


主人「だって、私とあなた、全然違うでしょう?性別から仕事から、年齢も、住んでいるところも、違うじゃないですか?」

 


そんな区別は、本当の区別じゃなくってよ。ご主人、ちゃんと分かっているのかしらね?

 


主人「もし、みんながみんな同じなら、私たちってそれぞれ生きてる意味がないのではないですか?みんな違うんだ、って言って感心された詩人さえいるのですよ」

 


そんなこと言ってー、もー、分かってくれませんの?私もご主人も素粒子の集まりでしょ。性別だとか、何をおっしゃるの?素粒子からしたらそんなのありませんのよ。ねー?そうでしょう?

 


主人「では、猫も人間も素粒子の集まりとしては同じだから、区別はないと言うのですか?」

 


困っちゃうー、猫と人間は違うわねー。それも本当の区別ではないのかしら。うーん、そうするとみんながみんな違うって方が本当なのかしら・・・。私、分からなくなっちゃった。困ったわ・・・。あのう、ごめんなさい、さっきからずっと黙っているけれど、あなた。あなたは、どっちだと思っているのですか?

 


知り合い「えっ、私?」

 


そーよ、あなたに聞いているのですよ。どっちだと思います?

 


知り合い「私に聞かれても。だいたい、素粒子なんて知らないし」

 


あっ、そうよね、私も知らないですもの。あははは!ご主人は知っているんでしょう?

 


主人「まあ、科学の専門家じゃないから正確なところは分からないですね」

 


えっ?じゃあ、なに?みんな、意味の分からない単語を、さも分かったふりして話していたの?あの男の子も、素粒子のことをきちんと分かっていないんじゃないかしら。なあんだ、これがほんとの子どもだましだわ。

 


ねえ、ご主人、でも正確じゃなくても、とにかく小さい小さい、見ようたって見えるわけがない、点みたいなものが素粒子なんでしょう?

 


主人「そんな感じですよね」

 


知り合い「それなら、私だってわかる」

 


じゃあ、そういう感じだとして話しをしましょうよ。ねえ?

 


知り合い「あ、私が聞かれていたんだ。猫と人間は区別されるか、されないか、だっけ?」

 


ん?まー、そう。

 


知り合い「見方によるんじゃない?区別しようと思えばできるし、同じだと思えば区別できないし」

 


主人「ふふ、でもいいところつきましたよ。猫を猫と思えば人間じゃないし、猫も人間も生命だと思えば同じですね」

 


じゃあ、区別しようと思うかどうかの問題ってことかしら?なにか、しっくりきませんわ。だって、生きている猫と死んでいる猫は、区別しようと思うかどうかにかかわらず、生きているか死んでいるかどちらかでしょう?

 


主人「ですから、その線引きの仕方によるんですよ。生きていても死んでいても、猫は猫。生きているか死んでいるかを問題にすれば、生きているか死んでいるか確かめたとき、必ずどちらかでしょうね」

 


ふうん。みんながみんな違う、と言う人は「みんな」を一人一人、分けてみてるのかしらね。みんなが素粒子としては同じ、と言う人は「みんな」を一緒にみようとしているのかしら。どちらの立場もそれなりに納得できる気がしますけれど。

 


主人「『みんながみんな違う』って立場の人と『みんな一緒』って立場の人に分かれそうですね。なんだか、話しが振り出しに戻りましたね」

 


知り合い「わかった、こうですよ。みんながみんな、『それぞれ生きている』ってこと。一人一人の人生を、みんな生きている。」

 


『それぞれ』、ね!いいこと言うじゃありませんかー。けれど、生きているものに限らないのじゃありません?モノだって、なんだって、『それぞれの仕方で素粒子が集まっている』ってことじゃあないでしょうか?

 


主人「そうか、だから、こうか!『みな、それぞれの宇宙のエネルギーを持っている』」

 

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知り合い「男の子の話、本当だった。今日は、私があなたのコーヒーのお金、出すね」

 


主人「どうも、なんかもらいにくいですよ、今日は特別な日になりましたから」

 


それじゃー、男の子の分にして下さる?いつ来るか、一度も来ることがないかもしれないけど、私たちからのほんのささやかなプレゼントとして。

 


主人「いつまででも待ってますよ。この店がなくならない限り。その子が来たらきっと分かるはずだから。あれだけの勇気の持ち主なら、ね」

 


知り合い「宇宙のエネルギーをたくさんかかえているのかもね」

 


あははは。よかった。今日お話できて。犬は歩いて棒に当たったけど、私は歩いたら男の子に当たったわ。いい当たりだったでしょう。あはは、あはは、あははは。

 

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〜〜〜〜〜

 

いかがでしたでしょうか。mesameでした!ではでは!

 

タイムトラベルしている!

時間とたたかっていたつもりのmesameです。ところが、いま気づいたのです、真実に!

 

結論はこうです、

 

ごく一般的には、時間が流れているものだと思われているかもしれませんが、実は私たちも時間とともに流れていますよね!なので、私たちは、全員、タイムトラベラーなのでした!!

 

カップラーメンにお湯を注いで出来上がるのを待っている間、時計は進み、私たちはその時間の進み方とまるきり一緒に時間を体験しています。

 

時間を体験しているのは、ラーメンを食べる時に限りません。常に、です!

 

私たちは常に地球と一緒に回っているように、常に時間と一心同体だったのですね。

 

同じ速さで並走している電車に乗っている人たちのように、時間の流れと並走して私たちはタイムトラベルしているのでした。

 

生きている間、時間には始まりもなければ終わりもないので、私たちは一生、タイムトラベラーです!

 

時間とのたたかいに疲れたら、時間さんも大変だねぇ、止まることなくて。でも、私もいつも一緒なんだよ。仲良くやっていこうじゃあないか。と話しかけてみるといいのではないでしょうか^_^

 

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なんかふわりとした気分になりましたmesameでした!ではでは!

 

 

個人的な人生?(フィクション風)

冬至カボチャを食べ損ねたmesameです。その代わり、フィクション風文章書いたのでお送りしますね。ほんのちょっと長めですが、どうぞお付き合いください。

 

☆☆☆☆☆

 

『個人的な人生?』

 

いつの頃からか、わたしは心安らかな場所に居ました。

 


誰に気を遣う訳でもなく、かと言って友人がいない訳でもなく、大学もそこまで勉強が大変ということもなく、しかし、宿題やバイトで忙しくしている毎日です。充実しています。

 


彼氏もいます。同じ大学の同じ学科の人で、特に目立っているような風貌でもないのですが、その割りと気楽そうなところに惹かれて付き合うようになりました。

 


大学では小難しい話が好きな先生たちだらけです。たまに面白く思う時もありますが、自分たちの世界にはまっていて、わたしにはよく分からない人たちですね。

 


そろそろ卒論を書かないといけない時期でもありますが、普通のいわゆる就職はせずに、卒業したらバイト先の喫茶店を本格的に手伝わせてもらうことにしたので、まわりの大変さと比べるとわたしは気忙しくなく、睡眠時間を削って頑張るなんてこともなく健康的です。

 

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好きな音楽はピアノです。バッハが好きです。聴くだけですけどね。子どもの頃ピアノを習ったことは習ったのですが、ある時、スピーカーから流れるバッハを聴いて、何の曲か分かりませんでしたが、とにかくバッハであることは間違いなく、これまで習ってきたピアノ曲の、普通に美しいメロディとは違う、キチキチとしたリズムの中に隠された、「音」が「旋律」になる様が、なぜかその時わたしの頭の中に響き、それ以来、メロディを歌うように弾いていたわたしの手は止まってしまいました。成長したのでしょうか。でも、時代から言うと逆なのですが。不思議なことに。

 

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不思議ついでに言いますと、わたしはなぜか、今日一日生きると、昨日のことはほとんど気にならなくなる質なのです。世間で言う天然ですね。ですから、昨日、大事件が起きたとニュース番組で言っていても、翌日はあっけらかんとしています。それでも生きていく上では支障何もないのです。記憶がなくなって忘れてしまう訳ではなく、気にならないってことです。

 


ですから、毎日が新鮮で、まっさらな気分で生きているのです。寝てる間にリセットされてしまうのでしょうか。笑っちゃいますね。

 


こうして、毎日が新鮮な充実した人生を送っているのもまた珍しいでしょう。しかし、わたしはみんなから、きっと人知れぬ苦労をして来たのだろうとか、内心は何を思っているのか分からないやつだとか、散々に言われているようです。けれども、そんなことは気になるどころか、楽しい風景ですね。みんなが不思議がる姿を見て、わたしこそ不思議に思い、また、愉快な気分になってしまいます。

 


こうして、普通は、人生は大変だ、なんとかしないと、と奮闘している人をよそ目に、ぬくぬくと生きているわたしが居る。

 


なぜこの筆をとったかと言いますと、このぬくぬく感に、わたしといえども罪悪感を覚えて来てしまい、どうしたらいいものかご相談に乗って頂けないかと思ったからなのです。

 


ご理解頂けるでしょうか?

 


わたしは、このまま心安らかな場所で生きていくのは罪のように感じ始めているのです。修羅場を潜り抜け、苦労に苦労を重ね、それでやっとつかむ幸せなどではなくて、普通に生まれ、普通に生きて、毎日が新鮮でまっさらに、真っ直ぐに生きているわたしは、このまま生きていていいものなのでしょうか?

 


それとも、わたしは本当は苦労しているのに、それをすっかりどこかへ解消してしまっているのでしょうか?

 


人生について考えることもなく生きていた、というのは本当はウソで、葛藤そのものを無くす術を持っていただけなのでしょうか?

 


わたしは理解されないと思います。

 


しかし、みんなが目指す健康的な人生とは、こういうものなのではないのでしょうか?

 


それはあくまで、そんなことある訳がない空想上の理想なのでしょうか?

 


理想的なものが実現しているとき、ひとは信じないのでしょう。人間くささがない、とか。

 


あっっ!分かりました!わたしはわたしの道を歩いて来ただけ。人のことは関係していませんでした。人は人、自分は自分。傷つくこともなく、最高に好きな自分を生きていました。人を理解しようとしていなかったのです。人はどう思うか?など詮索などせずに、伸び伸びと生きてしまいました。人の苦労も知らずに、だから、共感することも出来ず、ただひとり、安住の地に住まいしておりました。

 


なんと罪深いことでしょう。

 


世の中と縁がスパッと切れているのです。

 


わたしは自分最高に生きていても、人としては最低なのです。

 


どうすればいいですか?

 


そうだ、バッハは「音」を「旋律」にしたのでした。わたしはわたし、では人生が旋律にはならないですよね。その謎は、どうやって解けばいいのでしょうか?

 


考えてみましょう。

 


いやいや、簡単な話です。ひとつひとつの音には個性があります。だから旋律になり得る訳ですね。わたしの場合も、わたしの個性を大事にしてていいのでしょう。大局を観れば、世の中の旋律に使われているのではないでしょうか。

 


しかし大事なのはここからです。美しい旋律になる為には、協調ということが必要です。分かりました、わたしに欠けていたのは、他人への干渉だったのです。干渉とは、悪い意味でのものではなく、そうですね、むしろ関わり合い、と言うといいのかもしれませんね。

 


それを避けていたのです。わたしがわたしであろうとしていた為に。

 


そう、本質は逆です。

 


旋律があってはじめて音の個性が生まれるのです。

 


しかし、この考え方は大学で習った「全体主義」に近く、困ったことになりそうです。

 


全体の為に個がある、ということは個が全体から滅せられてしまうことにつながります。

 


では、どうしたらいいのですか!?

 


個人の集まりとしての全体でもなく、全体の為の個人でもない、とすると?

 


分かりました!それが「民主主義」ということでしょう!!

 


何を突然、政治的な話にして、と思われても仕方ないです。政治的な話とは、選挙の話ではなく、元来社会の在り方を問うことであったのです。

 


音は音でよいのです。それを認めます。しかしながら、音はうまく協調すれば旋律になる訳ですし、不味く協調すれば不協和音になって、どちらかだけでは音楽になりません。不味いものがあるとそれを回復させようとして音楽にダイナミクスが生まれます。それが社会というものだ、というのが民主主義ですよね。

 


わたしは、民主主義の一員として、どうあろうともわたしの趣向に合った生き方をすればいいし、それしかできません。しかし、忘れていけないのは、わたしだけで生きている訳ではない、ということですね。わたしが活きるのは、わたしを支えてくれる人がいるからですし、わたしも人を支えていく必要があるのですね。

 

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あー、なんか、すっかり気分良くなりました。

 


書くことっていいですね!

 


これは自分用のノート。誰に向けて書いた訳じゃございませんでした!あはは!はー、スッキリ!

 

☆☆☆☆☆

 

最後までお読み下さりありがとうございました!mesameでした!ではでは!

 

人生これからの学生さんが目指しているものは

風邪がようやく治りましたmesameです。昨夜は近くの大学の学生さんと話す機会があって、夜中私は考え事してました。学生さんは目標が見つからない、と言っていたのです。

 

かく言う私も、目標が定まらず、行ったり来たり。さまよう人生道中の真っ只中で、学生さんに偉そうなことは言えませんでした。それで一人で考えてたのです。

 

しかし、私と学生さんでは質の違う「目標のなさ」に思われました。

 

うーん!と、メモ用紙になぐり書きしながら考えて出た結論は、、、

 

いまの学生さんは本物に触れる機会がなく、心の底から感動するとかいった経験がまだまだ足りておらんのではないか。という仮説です。

 

従って、本物に出会え!と言いたいです。

 

なぜそんな話になるかと言いますと、見かけ上、ネットで事足りている「自分という安住の地」が出来上がっていて危機感が薄いからではないかと思うのです。

 

「自分」がいつの間にか出来上がっていく、というのはごくごく自然なことです。それは素晴らしいことです。

 

しかし、昨今は情報を自分の都合に合わせて選んでいけるようになった為か、自分と相対する考えや嗜好の持ち主とは距離を自由に取れるようになっていますよね。

 

ですから、好きなことで埋め尽くされている現状で、特にこれといってやりたい事も出て来ないのは自然の成り行きのような気がします。

 

ですが、なんですよね。

 

それでは「自分」と異質なものをテキとしてまつりあげるなんてことがあったり、そこまでいかなくても「自分」が成長しないのではないでしょうか?

 

「自分」の好きなように生きることが大変重宝がられている世の中ですが、異質なもの、しかも本物に出会って、ガーン!と心が揺さぶられる経験があると、これまでの「自分」が更新されて、視野がグーンと拡がります。

 

例えば、ピカソの絵を観て、「何これ?変てこ!」で済ませていれば、それが超ド級の作品であっても何も自分の糧にならないどころか、芸術を感動できる感性が育たないですよね。他人の作品を味う余裕がなくなっています。そもそも絵画に興味を持つこともなく過ごしているかもしれませんね。それで不自由なく生きていけるのですから。

 

しかし、そうやって、ひとつ目をつぶり、ふたつ目をつぶり、して生きていると、自分の人生が拡がりを持たなくなってきます。

 

世の中何でも知っているようでも、実は殆ど味うことのない他人の感覚、感受性、経験を理解出来ないで、結局、人生の目標が見えないことになるのではないでしょうか??

 

こんなふうに偉そうに言ってる私も、昔、目標を失いかけました。そのとき、とにかく本を読みました。斜めに、ザクザクと!そして他人の考えていること、他人の作品に感動し、そうしてはじめて本来の「自分」が見えてきたのです。

 

えーと、そう言えば、いまの私も目標を失いかけています。感動することがなくなってきたというよりも、両親の介護から解き放たれて、やっとぼーっとできるようになり、かえってこれまで打ち込んできた介護がなくなった虚な感じがするのです。

 

さて、この記事を書いてはじめて、私の心に新しい感動が足りないことに気づかされました。学生さん、ありがとう!

 

私は私の人生を、やはり世の中の人のいろんな考え方から学びながら更新していくことで、心の底から楽しいと思えるものに変えていこうと思います。

 

まだまだ道半ば!世の中はひろし!ですね。

 

あ、ちなみにピカソの絵については↓が読み応え十分にして目からうろこが落ちます。

 

ピカソ 剽窃の論理 (ちくま学芸文庫)

ピカソ 剽窃の論理 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

今日もお読み下さりありがとうございました!mesameでした!ではでは!