共感と反感があってこその人生
また素数にとらわれていたmesameです。気を取り直して、今回は「共感と反感」を取り上げてみます。手紙形式で書いてみますね。
『私ではないあなたへ』
ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますか?
私はこのところブログに徒然とそこはかとなくかきつくるようになりました。
よくもまあ、誰にも期待されずに文章を書けるものだと思われるでしょうが、確かにその通りです。気分を整えるのがとても大変です。
それでも、書くのですよ。皆さん書いていらっしゃいますよ。
今日のテーマは、あなたとの対話で感じたことです。
あなたと話していると、とても共感できるときもあれば、正直なところ、反感を持ってしまうときもあります。
共感できるときはあなたと連帯してる感じで、そうでないときは、隔たっているような気になります。
そんな風に感じる訳は、あなたと私が同一でない、という当たり前のことでした。
そして、共感したり反感を持ったりするのが、私の成長につながっているんだ、ということに気づいたので、今日筆をとりました。
先日あなたは私に、楽しい時間をありがとう、なんて言っていましたが、あれは本当でしたか?私には、あなたは全く面白くないような顔をしていたので、あれは嘘に決まっていると思いました。
あなたのことは私はよく分かっているような気で居ましたが、そんなことはまるで違っていて、あなたのことは全く何も分からない、分かり得ない、と思うようになっています。
それは仲が良いとかわるいとかいうこととは全く異なり、他の誰に対してもそうなのです。様々な感情や感じ方は、私がそう思っているから、そうなのである、という事情なんだなぁと思う訳なのです。
お分かりですか?
私の世界観、それを私の宇宙、と言うことにしますと、私の宇宙には、私の宇宙と異なる様々な宇宙がたくさんたくさん入り交じっているという訳なのです。
ですから、あなたの宇宙がもし、私の宇宙と接点がなかったら、私の宇宙は相も変わらず成長することがなかったでしょう。
そうです、私の宇宙とあなたの宇宙に接点が生まれたことによって、私はあなたに共感を抱いたり反感を持ったりして、成長できたのです。
あなたが言葉なり表情なりで伝えたことがあなたにとって本当に伝えたいことかどうかは別にして、それを受け取った私は、私なりにそれを解釈して、私の宇宙はどんどん広がります。
もし、私があなたと同一ならば、そんなことは起きません。空虚な宇宙に住んでいるだけです。
私は先日お会いしたとき、楽しかったですよ。
これは本当でしょうか、嘘でしょうか。
私が本当ですよ、と念を押しても、あなたが嘘だと思うなら、嘘でしょう。私は精一杯頑張っても、あなたに感じられる感じ方はあなた次第です。
それでも、伝えたいことは伝えなければ始まらないし、それで生じる感情の入り交じりこそ、私を、私の宇宙を成長させてくれるものだから、私はあなたに手紙を書いたのです。
それでは、また。
(手紙おわり)
上手く伝わったか自信がないmesameでした!ではでは!